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バイマンスリーワーズ

Bimonthly Words

坂に車を押す如し

2002年07月

「ゆとり教育」の名のもとに、今春から学校教育にも完全週休二日制が導入され、カリキュラムも減ることになりました。
その実態はどうか。国の方針は、詰め込み型を改めた教育改革としていますが、その内容までが希薄になっているようです。なんと、円周率を「3」と教えているのですから呆れます。
寺子屋に始まり、百年以上も世界№1の教育レベルを誇ってきた日本。
和を重んじる国民性、勤勉さ、技術大国ニッポンの礎を築いたのは教育レベルの高さにあったのですが、近年の学力低下傾向は目に余るものがあります。はたして今回の政策は正しいのでしょうか?

一方、昇竜の如く経済成長を続ける中国の学校教育レベルが急速に高まっています。資源も少ない小国土の日本が唯一誇れた人材のレベルは、中国などのアジア諸国に追い上げられているわけです。否、ひょっとすると、すでに追い越されているかも知れません。
大人の何十倍ものスピードで成長する子供達の学習時間を減らしていいものでしょうか。もともと、春・夏・冬と長期休暇があるのに、週に二回も学校を休んでいいのでしょうか。まして、学習の中身を簡素化するなんてとんでもない話です。

子供達の問題だけではありません。たとえば、働く大人たちの労働時間はどうでしょう。
今年の春闘は軒並みにベア・ゼロが行われましたが、日本の賃金水準はいまだに世界最高位にあります。ところがこれだけの高給をとりながら、10年前には世界一だった労働時間は休日などの増加により世界6位にまで後退しています。もちろん、無駄を省き、効率が上がっていることもあるでしょうが、ワーク・シェアリング(仕事の分かち合い)が進めばもっと下がるでしょう。このまま下げ続けていいものでしょうか。

バブル期は「日本人は働きすぎだ」と海外から責められました。外圧です。そこで「ゆとり」をキーワードに労働時間の短縮政策が推し進められ、子供達への教育問題にまで波及しました。
その成果が本当にあったのかどうかは、現在では分かりません。

「人・物・金」の大原則はおかしい

働く人たちへの教育問題はどうでしょうか。
バブル期は人手が不足し、経営者は “人財” つまり「人は財産」とまで呼んで、それは、それは大切に扱いました。応募に来た学生には“入社すれば車をプレゼント!”という馬鹿げたことをやった企業もありました。もちろん人材の教育にも莫大な予算が費やされていきました。

そしてバブル崩壊。大手企業の採用費用は大幅に抑制され、面接学生にはお茶も出さなくなりました。もちろん教育予算は真っ先に削られています。慣習的な新入社員教育はやるが、その後は放ったらかし。せっかく続けた教育への投資は途絶え、社員は馬車馬のように扱われました。
バブル期に「人財」とまで呼ばれたのは何だったのでしょう? コロッと掌を反す経営者の姿勢が疑われます。結局「人財」とは口ばかりで、やはり「道具」としか見ていなかったのでしょうか。

元経団連会長の土光俊夫氏は“人”の問題について次のように語っています。

「企業の三要素は、“人・物・金”であるという。経営・経済学の世界ではもはや常識となっている大原則だ。だが、この言葉は僕にとっては不満である。なぜなら、“人”と、物と金とを同列に並べる発想に納得がいかぬからである。人とは人材、物とは設備や技術、金は資本である。しかし、モノとカネを生み出し、活用するのは、あくまで“人”なのだ」

大いに納得できる見解です。「人財」とは人のことをカネと同列に、もしくはカネ以下に考えていた人間が、困った末にそう呼んだとしか思えません。この言葉には人に対する愛情や、確固たる信念は感じられません。

企業運営に人の問題はつきものです。宿命と言ってもいいでしょう。
それは数の問題ではなく、人の知識・技能そして意欲のレベルの問題から、信頼感やコミュニケーションといった人間関係の問題のことです。
まして企業が新しい事業を軌道に乗せようとすると、すぐ人の問題にぶつかります。言い換えれば、事業が軌道に乗るか否か、は、人の問題を越えられるかどうかにかかっていると言えるでしょう。
経営者は人の問題から逃げられないのです。

教育は 坂に車を 押す如し

「手習いは 坂に車を 押す如し」ということわざがあります。
平地で荷車を押すのに疲れたら、車を止めて一服すればいい。しかし、上り坂になると休まずに一歩、また一歩と登らねばならない。ちょっと気を緩めると後ずさりするからです。石でもはさんで歯止めをすればいいじゃないかと思われるでしょうが、上り坂で一旦止まると、次に動き出すのはほとんど不可能。つまり、学問や習い事は、少し油断するとかんたんに後戻りするというわけです。

もちろん、このことわざは“学ぶ人”に対するメッセージです。
しかし、これは学ぶ人よりも、“指導する側の人”が肝に銘じておきたい言葉です。
時間はかかりますが、途絶えることなく教育を続ければ確実に成果は出ます。ところが中小企業で社員教育を本気で続けている経営者は、ほんのわずかです。
なぜでしょうか。
予算がとれなくなった、時間が割けない、といったこともあるでしょうが、これらは表面的な問題にすぎず、本当の理由ではありません。

いかがでしょう、あなたの会社でも多大な費用と時間をかけて教育し、一人前に育てた社員なのに辞めてしまった、という経験があるかと思います。それは一人や二人ではないでしょう。これまで投資してきたものを返してほしいぐらいではないですか。まして、同じ商売で独立する、ということなら訴訟でも起こしたい気持ちではないでしょうか…。よくわかります。
期待を込めて育てたのに、辞めてしまえば裏切られたような気持ちになります。その気持ちは、社員への期待が大きければ大きいほど、強くなります。そして、「こんなことを続けても何の得にもならない…」という思いがもたげてくるのです。

これは人間のどんな心境なのでしょう。それは、“見返りを求める心”なのです。
じつは中小企業の経営者が本気で教育に取り組まない本当の理由はこんなことにあるのです。
不思議なもので、見返りを求めたものはなかなか手に入りません。お風呂の湯を自分の方に手でかき寄せると、逆に逃げていくように、欲しがれば欲しがるほど遠ざかっていくのです。
儲けるために人材を育てようと考えている間は、人は育ちません。
ですからどれほど教育にお金をつぎ込んでも儲からないのです。儲けることが目的で、人がその手段と考えているわけで、誰がそんな自分勝手な考えの経営者についてくるでしょう。

与えて報いを求めない

情報化の進んだ現代の経営は、社長が黙々と汗をかき、歯を食いしばって荷車を押していく、なんて悠長で悲壮感の漂うやり方では通用しなくなりました。道路は完全舗装され、高性能エンジンを搭載した車でかなりのスピードで登ることが要求されています。
ところが見えない落とし穴もたくさんあります。急成長のあと、急降下しているユニクロのように登る力が強すぎたために頂上で止まれず、勢いあまって下り坂を一挙に落ちることもあります。途中、エンジントラブルでもあれば何もできません。これが現代の経営のもろさです。

エンジンが潰れても最後に頼りになるのは人の力です。
結局、夢という頂上に向かって「会社」という手押し車に「課題」という荷物を積んで、一歩、また一歩と、自力で上っていくことの腹決めをすることが経営には必要なのでしょう。
目の前の「課題」が邪魔をして先は見えないけれども、頂上の夢を信じて上り続けるのです。ちょっとでも気を緩めると後ろへ下がり、止まってしまえば次に動きだすのは至難の業です。休んではいられません。
でも、現実問題として一切休まずに、精神も肉体もボロボロになることを覚悟で業務に取り組むことができるでしょうか。それは不可能に近いのではないでしょうか。

そこで必要なのが、“ゆとり”なのです。
ゆとりの意味を誤解してはなりません。ゆとりとは時間のことではありません。もちろん休むことでもありません。
ゆとりとは“余力”のことをいうのです。あり余るほどの実力を持ち、その力の七分程度でも充分に問題解決できる余裕をもった人、これがゆとりある人なのです。
“経営は坂に車を押す如し”です。実力ある経営者なら、坂道の途中で止まっても余裕の笑顔で歩むでしょうし、坂道を上る経営が楽しく感じるはずです。
実力のない人は肉体も精神もフル回転で、それは苦しく感じるでしょう。ですから、実力を高めるために休みを返上するぐらいの覚悟で自分を鍛えていくことが、育てる側、育てられる側の双方に必要なことではないでしょうか。

そして、経営者に求められる実力の中には「心のゆとり」という項目があることを申し添えます。
いつも人の問題を抱える経営者には、心の中に大きな余裕が欲しいのです。これが“見返りを求めない心”です。慰安旅行や宴会に連れて行き、また教育研修に参加させて、お礼の言葉を期待しているようではまだまだ甘いのです。
予算も時間も人が育つためなら、精一杯与える。そのうち何人辞めてもしかたない、みんな辞めても俺がなんとかする、くらいの大きな心の余裕が欲しいのです。