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バイマンスリーワーズ

Bimonthly Words

ことさら難路を歩け

2002年01月

新年明けましておめでとうございます。
歴史的な変革があるといわれる“辛(かのと)の巳年”の昨年はその謂れどおり、日本だけでなく世界各地で大事件が起こりました。昨年のさまざまな事件を貴重な糧として、私達は一日も早く新しい時代に向けてスタートを切りたいところです。

ところが、日本全体の経済はまことに厳しい状態に陥っています。10年近く重い病にかかっているのです。デフレという病です。
デフレとは「通貨の縮小と物価の下落」を意味し、インフレとはまったく反対の経済。
長年浸っていたインフレの時代には買いたいモノがたくさんありましたが、多くの人は買うお金が足らなかったのです。ところが頑張って仕事をし、ときにはクレジットやローンで先買いすることで欲しいものが買えたのです。ローンで資産を購入した人でも年々所得が増えて返済が楽になる一方で、資産価値は上昇し、「インフレによる利得」を得ることもできました。
インフレとは経済が常に成長する路線上にあり、将来に夢が持てたわけです。

一方、デフレになると物価は上がらないが給料も上昇しない、資産価値は下がる一方で、借入金の負担は重くのしかかったまま。仕事の効率化や残業カットで所得が下がって需要が減り、物価は下落する。企業の生産は縮小されて、人減らしが行われる。結果、失業者が街に溢れ、個人消費がさらに落ち込んでいく…。
デフレとはこのようにスパイラル状に縮小していくものです。
デフレ経済では低価格のモノは溢れるが、それを手に入れても生活が変わるほどの魅力はありません。そのうちにモノを買うための金がなくなります。
そして、最後には仕事そのものがなくなるのです。

中小企業の賃金は下げてはならない

格安衣料品で旋風を巻き起こしたユニクロの業績に急ブレーキがかかっています。この現象は競合企業の追随もあって衣料品全体がデフレ経済になじんだ証でしょう。
家電製品も生産の大半を海外にシフトして低価格対応を済ませています。日用品や外食産業も、もちろんバブルの象徴であった不動産や株は早くからピーク時の30%を割っています。

ところがデフレがここまで進行しているのに、どうしても合点がいかないことがあります。
それは賃金の問題です。
日経連の調査によると、日本の労働者の時間あたり賃金水準を100とすると米国は81。つまり賃金水準はバブル期のままなのです。ちなみに中国は日本の20分の1です。
日本企業はここ数年間、残業カット、賞与カットで凌いできましたが月々の賃金までは下げなかったのです。人員削減によるリストラは限界に来ています。聖域とされていた賃金を下げなければ環境に適応できなくなっているのです。これがワークシェアリング(仕事の分かち合い)と呼ばれるものです。

水は高いところから低いところへ流れます。ことしから大企業を中心に日本全体の賃金水準は下がっていくでしょう。
ところが、中小企業ではじっくり考えて賃金問題を判断する必要があります。
中小企業の経営者は今だからこそ賃金を下げない、いや、少しでも賃金を上げる努力をすべきです。賞与は下がってもいいのです。業績によってゼロでも仕方ありません。しかし今は、大手と格差のあった月次賃金の水準を改善することで、より優秀な人材を確保し、育てる絶好のチャンスなのです。

今は経営者が己の取り分は最低限にとどめ、将来に向けて優秀な人材をそろえるための投資をする時ではないでしょうか。
高度成長期には大手の水準をみてから賃上げを決定する中小企業経営者が少なくありませんでしたが、もうこんな姑息なやり方は通用しません。
“利益があがったら給料を上げます”は常識です。
しかし、こんなニワトリが先か、タマゴが先かの議論ではいつまでたっても利益はあがりません。利益をあげるには明確なビジョンと的確な戦略・戦術が不可欠ですが、実行段階では社員への待遇を先行させ、経営者は己の取り分を辛抱する覚悟がなければ成功しないでしょう。

給料をもらう社員の側も考え方を変える必要があります。ことし、月々の賃金が現状維持の企業の場合でも3~5パーセントの昇給があったと考えるべきでしょう。感謝の心を忘れてはなりません。
残念ながら下がってしまったら、会社が環境に適応していると考えればいいのです。

“縮み発想”がデフレから日本人を救う

じつは、経済のデフレは「死に至る病」であるといわれています。
公定歩合を0パーセントにしても、巨額の国債を発行して消費を促そうとしても、デフレの病を根本から治すことはできません。近代経済学はデフレへの対処法を持ちえないのです。

歴史をさかのぼると1929年からのアメリカ大恐慌はニューディール政策によって復興したようにいわれますが、根本的にデフレから脱したのは第二次世界大戦でした。日本の昭和恐慌も敗戦でボロボロになり、その後の朝鮮戦争で本格的に復興したのです。
こう考えると戦争でも起こらなければデフレから脱することはできないのか?と恐ろしくなります。

ではどうすればいいのか。
形あるものが崩壊しても根本解決にはなりません。考え方を根本から変えなければ、同じことの繰り返しなのです。これまでの常識を壊し、新しい環境で生きる智恵を作り上げることです。
日本には古くから環境の変化に対応するすばらしい智恵がたくさんあります。

その中でもキラリと光るのが“縮みの発想”です。
縮みの発想とは、たとえば室町時代に完成した「日本庭園」があります。「盆栽」や「美術工芸品」には小さな世界に高度な芸術が凝縮されています。「幕の内弁当」も縮みの文化です。「俳句」にいたっては、五・七・五の17音の中に季節や人の心情、いわば偉大なる宇宙観が盛り込まれています。
なんと素晴らしいことでしょう。
日本人は器用なるがゆえに、狭い中でも広さを表現する、ある種特別の力を持っています。
この力が日本人の思想を形づくっていったのです。

凡打からバッティングの極意をつかんだイチロー

今のデフレ日本とそっくりな昭和恐慌の時代を切り抜けた出光興産の創業者、出光佐三。氏は人間尊重の思想を貫いた日本的経営の見本のような経営者でした。
敗戦で多額の負債を抱え、海外にいた1000人余りの従業員が引き揚げてきても人間尊重の精神は変わりませんでした。出光は雇用確保のために農業、漁業、印刷、しょうゆや食酢の製造、ラジオの修理そして旧海軍のタンク底に残る石油の回収作業までやりました。
こうやって1000人を超える従業員を解雇せずに危機を乗り越えたのです。

出光氏の人材育成方針も明快です。

「ある一つの目的を達するのに、楽な道と苦しい道がある。楽な道をとっても目的を達せられるが、どちらを選ぶかといえば、われわれは難路を選ぶ。ことさら難路を歩けというのは、目的地に達した後の人間として、順路を歩いた人とくらべたときに大きな差があるからである。実力は難路を歩いた人につくに決まっている」

なるほど…。
「ことさら難路を歩く」の“ことさら”とは、“わざわざ”にすることです。難路には、思い通りにいかないこと、失敗する機会が数多く用意されています。そこをわざわざ歩けというわけです。
出光氏はなぜこのように考えたのでしょう。

じつは難路に用意されている失敗とは、成功の対局にあるものではなく、成功と一体化して存在しているのです。シブ柿の“シブ”がそのまま“甘味”になるように、失敗の中に成功が潜んでいるのです。
ですから失敗を得ることが成功を得ることであり、失敗にこそ大いなる価値があるのです。

大リーグのイチロー選手がバッティングの極意をつかんだのは、会心のヒットを放った時ではなく、日本の投手から凡打に打ちとられた瞬間だといいます。あの天才的なバッティング技術はもともと備わっていたのではなく、失敗の積み重ねの中から生まれてきたことがわかります。

私は「楽しいこと」と「楽なこと」は分けて考えています。「楽なこと」は身体が受け付けません。辛いようでも難しい道を選び、己を鍛えていくうちに、そんな自分を楽しく感じるのです。
経営とは辛いものです。人間関係に悩み、資金繰りに苦しみ、日々の学習や情報収集も辛いことです。ところが辛いことを続けているうちに、“シブ”が“甘味”に変わる柿のように辛さ自体が楽しいものなってくるのです。そして、辛さから生まれた喜びや感動はひとしおです。
出光氏はこのようなことを言いたかったのかも知れません。

縮みの発想をもった日本人は、デフレで経済が収縮しても、その中でうまく生きぬく力を潜在的に持っています。売上が減っても、給料が下がっても命までは取られません。縮めば、縮んだようにやっていけばいいのです。
経営者も、サラリーマンも“デフレを怖るるなかれ”