バイマンスリーワーズ
Bimonthly Words
啐啄(そったく)の機
啐啄の機とは、広辞苑によれば
「『啐』は鶏の卵がかえるとき殻の中で雛がつつく音、『啄』は母鶏が外から殻をかみ破ること。
また、禅宗で師家と弟子のはたらきが合致すること」
とあります。
経営の現場では、経営者や管理者が「育てる」ことに日夜腐心しています。
一流の商品に育てる、得意先や下請先を育てる、そして人材を育てる‥‥。
経営に携わっている人々の行為は詰まるところ「育てる」という行為の連続なのです。
これらは一朝一夕にできるものでないことはわかっています。
それは小刻みな努力の積み重ねなのです。
また単に努力を重ねるだけでも事足りません。
「タイミング」がそれ以上に重要となります。
タイミングを間違えば蓄積した努力を実らせることができなくなるのです。
・完成したこの商品を市場に導入するのはいつか、いつであるべきか
・育っているとは言い難い部下や後継者にいつ権限委譲をするのか
といったことについての見識を備える義務が私達にはあります。
歌舞伎の世界では「修(しゅ)・破(は)・離(り)」の考えを重んじるそうです。
まず、師の教え通り忠実に学ぶ(修)。修行期です。
この間に徹底的に基本を身に付けるのです。
一定の修行期間を過ぎると師の教えから遠ざかり(破)、自分なりにやってみる。
この時期が当人にとっていちばん苦しみ、もがくでしょう。
そして、その苦難を乗り越えた向こうに自分なりの流儀が待っている(離)。
経営の現場でも似たようなスタイルをとっています。
本来、啐啄の機は「啐」の側、つまりこれから成長する人のための言葉のようです。
ここでは人を育てる側からみて、
「温める機」「突き放す機」「啐啄の機」として、
各々の時期における留意点とタイミングについて考えてみましょう。
温める機 - バランスのとれた温め方がポイント-
温める機は「修・破・離」でいう「修」に相当するでしょう。
ここで注意すべきことは、やさしくソフトに接することが温めることではないことです。
温めるとは、手元に置くことを意味します。手元に置き、徹底的に基本を教えるのです。
最近の若い経営者や管理者の中に誤解している人を見かけます。
この時期に新人や部下に対しやさしく接することが肝要と考え、叱らないのです。
もちろん厳しすぎてもうまくいきません。
この時期はやさしすぎると甘えの習慣がつき、厳しすぎれば潰れてしまう。
放っておけば「我、関せず」の無関心、利己主義人間を創り出すことになります。
ここでは、常に深い関心を払いながらバランスのとれた温め方がポイントなのです。
突き放す機 -児孫のために美田を買わず-
修・破・離の「破」です。
昨年「冬彦さん現象」という言葉がテレビドラマをきっかけにブームになりました。
私はその番組を見ておりませんが、社会人になっても母親から離れられないマザコンの青年を描いたものだそうです。
時代を表現する作品としてブームになったのは皮肉なものです。
私達はこのドラマから子供がマザーコンプレックスになる背景を知る必要があるように思えます。
それは、親側の過保護にその原因があるということです。
幼少の頃からずっと過度の世話をする。自立できる頃になってもその習慣から抜けない。
母親がいなくては生きていけない生活を送る。
その結果、自分から殻を破ろうとせず、自宅に篭もりがちな「おタク」族ができあがるのです。
この現象は子が親離れしないのではなく、親が子離れしないために起こります。
「温める機」から「突き放す機」へのタイミングを逸すると、
育てる側も意味のない大変な労苦を背負うことになりかねません。
企業においても全く同じ。特に後継経営者の育成は社長業の中で一度きりしかない行為です。
失敗は許されません。
では、後継経営者を育てる上で「温める機」から「突き放す機」を判定するポイントは何でしょうか。
まず、第一の突き放し。それは、20才代の職務です。
この間に営業に没頭させることです。
たとえ、営業に不向きなタイプであっても営業という行為を通じて自分や自社をいかに売り込むか、
そしていかに人脈というものが大切か身をもって体験させるのです。
自社が営業について甘い体質であるなら、厳しい他社を選ぶのもいいでしょう。
「人脈は事業を規定する」といいます。
死ぬ気で営業に没頭させ、将来経営者となったときの人脈基盤を自力で作り上げることが大切なのです。
社長の中には息子の経営者教育として、若い時代に財務・経理が重要だという人がいます。
これは社長自身が財務に弱いために考えるだけであって、20代にはそのあり余る精力を全身全霊営業に打ち込むことがベストなのです。
第二の突き放しは、
「息子が後継経営者になるとは限らない。経営者としての力を備えたものを後継経営者とする」
と明言することです。
ここで、後継の経営者になりたくないと考える息子なら、後継者レースからはずし、オーナーとしての道を選ばせるべきでしょう。
今後、日本経済は、ますます厳しい経営環境に置かれます。
企業をリードする経営者にはこれまで以上に優れた洞察力やリーダーシップが求められます。
経営者としてのトレーニングを放棄するようであれば、社主としての道を選ばせ、他者に経営管理を委ねるべきでしょう。
「息子以外に経営を任せられるような信頼できる人材はいないよ」とおっしゃる社長でも同じです。
「息子がこの会社の後継経営者である」と早くから明言してしまうと、多くの弊害が待ち受けます。
本人は、気がゆるんで努力しなかったり、逆にプレッシャーに押しつぶされたりもします。
幹部社員は早くから夢をなくしそのパワーを減退させるのです。
「児孫のために美田を買わず」は突き放す機のキーワードといえます。
啐啄の機 -自分が作り上げた入れ物を壊すとき-
先日、日本経済新聞の「私の履歴書」欄で天台宗座主の山田恵諦翁が次のように述べられていました。
兵役の頃、西尾寿造中佐(後の大将)が来られたので、「人生航路の前進理念を教えていただきたい」と質問すると、こんな答が返ってきた。
「見習士官になった時、私は中隊長はどんな仕事をするのか、理想的な中隊長はどうあるべきか、そればかり研究した。中隊長になったら大隊長を、大隊長で連隊長、連隊長では師団長をと、次のポストを研究する。その地位についてから何をすべきか考えても遅いんです」
私はすっかり感心して肝に命じた。
つまり、当人のイメージ力なのです。
人が新しいことに向かうときは誰でも躊躇するものです。
その先が真っ暗なのに飛び込んでいくのは無謀としか言いようがありません。
人が新しいことに向かう決心をしたときとは、自分がその新しい環境で立ち振るまっている状態をイメージした瞬間をいうのです。
・私が部長になったらこういう風にする
・私が専務になったらこんなことをやる必要がある
・私が社長になったらこんな会社を創りたい
といったイメージが当人の心の中にふくらんだとき
-それが夢でなく目標として具体化されたとき-
これが「啐」の機なのです。
部下や後継者が上司である自分を脅かすような発言をしたり、実績を残し出す。
これこそ、雛が中からつついている音なのです。
私が主宰する経営者大学でケーススタディをやたらに多く使うのは、このイメージ力を高めてもらうためなのです。
特に人事面と財務面。後継経営者からこの人事面、財務面についての提言がしきりに出だすと「啐」が始まったといえるでしょう。
そこで、「ハイわかりました」と簡単には殻を破ってやれないのが上司である指導者側。
殻を破り、出てきて、果たして本当にやっていけるのか、
逆に自分の存在をも危うくするのではないかといった自己保身の気持ちも起こってきます。
外から殻を破ってやるとき-「啄」とはいったいどんなときなのか?-
それは、指導者であるあなたの中にあるのです。
いくら部下に現在の自分の地位を与えても、また後継者に社長職を譲っても実態が変わらなければ殻を破ったことにはなりません。
呼び方が変わっただけで相変わらず卵の中の雛に過ぎないのです。
これでは、いずれ雛は卵の中で生きながら死んだ状態となり、あなたも老いていくでしょう。
すなわち「啄」の機とは、指導者側であるあなたの気持ちが、
・彼に任せる以上どんな風になってもよい
・自分の築き上げたことに未練やこだわりはない
といった自然体になったとき、初めて殻を打ち破れるのです。
卵の殻は親がつくった入れ物です。それを自らかみ破るのです。
自分の作り上げた入れ物である会社や、その部門を壊す覚悟が備わったとき、見事な「啐啄の機」が実現するでしょう。
この覚悟が備わらないまま、中途半端に権限委譲をすれば悲しい結果を招くのです。
不況が長引いています。
年内回復は難しい状況となってきました。
否、ひょっとするともっと厳しい状況が待ち受けているのかもしれません。
ならば、過去の栄光が捨てきれず、殻を破らずじっとしていることのないように・・・
そして今こそ打つべき戦略を着実に遂行するのが今なのかもしれません。