バイマンスリーワーズ
Bimonthly Words
心のクセをなおそう
「心に響くお話で、うちの嫁にも聴いて欲しい内容でした」
法話を終えた住職に白髪交じりの女性が話しかけました。
後日、偶然にも別の法話会にお嫁さんが参加されて、
住職の同じ法話を聴くチャンスがありました。
「素晴らしいお話で、義母にも聴いて欲しかったです」
住職が感じたお嫁さんの心境は姑さんと同じでした。
嫁と姑の問題は神代の昔からとも言われますが、
対立する心の内がみごとに現われた逸話です。
ところが純粋に仲のいい嫁と姑もあるのに、
ギクシャクしている嫁と姑ができるのはなぜか。
それぞれが、嫁として、姑として与えられたことに、
精一杯に努めておられるはずなのに何が違うのでしょう。
経営トップと後継経営者の関係もこれに似ています。
「とにかく甘い。後継者ならもっと厳しい経験が必要だ」
「これだけ真剣にやっているのに社長は信頼してくれない」
お互いの思いがかみ合わず、ストレスの溜まる例が少なくありません。
そして、ベテランの経営者ほどこのような傾向に陥りやすい。
「私は正しい…だからあなたが変わらなければならない」
身近にいる若い後継経営者や経営幹部に対して、
率先して変革するように求めてくるのです。
過去と他人は変えられないが “ものの見方”は変えられる
組織が活性化するためには、各部署のリーダーが勉強をして、
常に新しい知識や情報を取り込む姿勢が不可欠です。
しかし、トップ自身が「あなたが変わりなさい」
と、相手に変革を求める姿勢はいかがなものか。
~ 過去と他人は変えられない 未来と自分は変えられる ~
カナダの精神科医 エリック・バーン の言葉です。
相手を変えようとするのは他者依存であって、
自分が変わらないと、相手は変わりません。
では、具体的にどうやって自分を変えるのか?
これまでと正反対の“ものの見方”をしたらどうか。
たとえば、ミスをしたことは事実として良くないけれど、
失敗のたびにノウハウが蓄積され、仕事の精度は上がります。
厳しい叱責や仕打ちをされた人物を恨んでいても、
その人のお陰で鍛えられ、強くなった自分がここにいる。
そうすると、恨みを抱いていたその人が感謝の対象に変化し、
恨みという“負”の感情が、感謝という“正”に変わるのです。
しかし、相手に対する見方を変えた程度では、
精神の根本まで変えることはできないでしょう。
「私は正しい」と考えるクセが染みついている人が、
考え方の根底から変えることは不可能に近いのではないか。
ガチガチに固まった心のクセをどうやってほぐすのか…?
仏教の教えをヒントに解明していきましょう。
してやった やってやったで 地獄行き
ある中国の詩人が高名な禅僧に「仏教の真髄とは何か」と問うと、
「諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」
という答えが返ってきました。
諸々の悪を作(な)すこと莫(なか)れ 衆(おお)くの善を行い奉れ、という意味です。
「そんなことなら三歳の子供でも分かることじゃありませんか」
と詩人が問いただすと、禅僧は、
「三歳で分かっていても、八十歳の老人でも実行は難しいぞ」
わかるとできるでは大違いであることを、詩人は得心したという。
~ 悪いことをするな 善いことをせよ ~
こんな平易な仏教精神の実行がなぜ難しいのか?
まず「悪をしないことを心掛けて日々精進せよ」としていますが、
悪をしないことは当たり前なので、自慢の心が生じません。
その点を理解した上で「多くの善をせよ」としています。
「善」は相手が喜ぶかどうかの見極めが難しいのです。
~ してやった やってやったで 地獄行き ~
こんな言葉もあるほど善行には慢心がつきもので、
善行をするたび「私は正しい」という慢心が生まれます。
この「私は正しい」という“慢心”が心のクセの正体なのです
そして、この“心のクセ”を、ほぐさないで放っておくと、
経営者にとって最大の敵である「驕り」に変質します。
「私は正しい」という慢心は、驕りにまで発展し、
地獄に向かうことを肝に銘じておきましょう。
慢心をなくすことは、心のクセをなおすことであり、
自己を冷静に見つめ、観察する眼を持つことが大切です。
「何が正しいか」は変化するため 限定はできない
毎朝5分だけの「イス坐禅」をしています。
股関節を痛めてから座ることがつらくなって、
椅子ならいいかと始めたら手軽なので続いています。
坐禅は、調身・調息・調心を求めています。
まず背筋を伸ばして身体のゆがみを調える調身。
次に大きく息を吸い、ゆっくり出して息を調える調息。
最後に最も難しいのが、様々に変わる心を調える調心です。
心に溜め込んだ雑念や妄想を手っ取り早く掃除し、
凝り固まった“心のクセ”は元の状態に戻す。
そしてゆがんだ身体を治すのと同じように、
時には、「私が悪かった」と詫びることで、
心の中の偏りを元の素直な状態に戻しましょう。
急速に発達したAIに答えを求める思考になってしまった私たち。
ところがAIは間違いも多く、鵜呑みは危険とされています。
これは、血の通った人間が「私は正しい」と考えることが、
AIの答えよりも危険だという警鐘なのかも知れません。
そもそも「何が正しいか」は、「善」の実践と同じで、
相手によって変化するため、限定することはできません。
戦争を始めた国家指導者も「私は正しい」という慢心に始まり、
それが驕りになって、最後には悲しい地獄世界に堕ちていくのです。
冒頭で法話を聴かれた姑さんとお嫁さん、
心の中にいろいろあっても、引くべき時は引く…。
争いを避ける智慧は遠い昔から引き継がれてきたのか、
ご住職以上に仏教の真髄を実践されているように想像します。
