バイマンスリーワーズ
Bimonthly Words
過ぎたるは 猶 及ばざるが如し
謎をいっぱい残したまま、終結したであろうイラク戦争。
しかし、この戦争で中東問題はこれまで以上に混迷を極めることになりました。戦争終結ではなく、おそらく世界的な紛争の幕開けとなるのでしょう。実質、アメリカの支配下にある日本にも大きな悪影響があるのは必至です。
そもそも、今回のイラク戦争はなぜ起こったのでしょうか?
話は2001年の9・11同時多発テロに戻ります。ニューヨーク世界貿易センターのツインタワーに2機の旅客機が突っ込んだ光景は、誰もが脳裏に焼き付いて離れないでしょう。
しかし、あのツインタワービルがアメリカのすべてではありません。ハイジャックされた旅客機は4機。そのうち2機はツインタワーへ、1機は国防総省(ペンタゴン)でした。そして最後の1機はピッツバーグ郊外の森に墜落、炎上しました。
目的を果たせずして墜落した4機目のターゲットは何だったのでしょうか?
それこそ米国政治の中枢であるホワイトハウスだったのです。
国家を動かす力は政治、経済、そして軍事の三つです。
9・11同時多発テロとはアメリカという巨大勢力の中枢機能のすべてを破壊することをねらった行為だったのです。
政治・経済・軍事の国家権力の底辺には民族問題、宗教問題があります。現在のアメリカの態度を良しとしない民族、宗教勢力が、国家権力の3本柱の崩壊を狙ったわけです。
その勢力とは、ビンラディン率いるイスラム原理主義であると言われていますが、真実はよく分かりません。
このことは何を意味するのでしょうか。
権力者が組織の中枢機能のすべてを掌握すると、当人が気づかないうちに横暴な行為が行われていきます。すると、そこに対抗勢力が自然に発生します。その対抗勢力とは外部ではなく、ことごとく内部から湧き上がってくるものです。
このように考えると9・11同時多発テロとは、イスラム勢力を利用したアメリカ内部勢力によるクーデターではないかという仮説も成り立ちます。
今回のイラク戦争はこの延長線上に位置付けられているのです。
人は指導者の可能性についてくる
国家において政治・経済・軍事という中枢機能を一部の勢力が独占し、横暴を極めるようになると内部から反対勢力が現われ、崩壊に向かう…。
このことは何千年にわたる人類の歴史が証明しています。
じつは、この法則が企業運営においてもそのまま当てはまります。
国家運営の力である、政治・経済・軍事を企業経営者に置き換えると、「権力」「金力」「能力」と考えてもいいでしょう。
まず「権力」とは、企業運営の重要な意思決定を行う権限のことであり、最後の「能力」は、マーケティング、人事や財務といった実際の経営にかかる経営能力のことです。間に位置する「金力」はその権限や能力の対価として受け取る経済的報酬です。
さて、これら3つの力関係はどのようになっているでしょう。
「能力」のある者が「権力」を持つことは結構なことです。また「能力」のある者が「金力」を保有することも総じて問題はありません。
ところが「能力」がないのに「金力」を、時には「能力」はないのに「権力」を持っているケースもあるのです。
社員から見たとき、経営者よりも自分の力が上回るのにお金の分配が逆であれば、当然のように不公平感を抱きます。ましてや能力がないのに権力を盾にふるまう経営者に誰がついていくでしょう。有能な社員が辞めていくのは、大抵こんな心理状態によります。
ならば「能力」のない経営者は「権力」も「金力」も持つことができないのでしょうか?
そうではありません。人間の能力とは生き物ですから、上がったり下がったりするのです。ですから今の能力が低いのが問題なのではなく、上向いているかどうかが問題なのです。高い能力を持っていても下降しておれば人はついてきません。
人は指導者の過去の栄誉についてくるのではありません。未来の可能性についてくるのです。
さて、経営者が「権力」と「金力」を併せ持てばどうなるでしょう?
本来は「能力」を高めて「権力」もしくは「金力」を得るものです。ところが「権力」があれば「金力」は自由に操ることができるし、「金力」があればあるほど「権力」は強くなりがちです。
ですから「能力」を高める努力をするよりも、権力と金力を併せもつことが手っ取り早いのです。
権力者はお金を持ってはならない
歴史的事実には興味深いものがあります。
江戸時代の封建社会を象徴する階級制度が「士農工商」。一般に「士」は武士のことだと思われがちですが、じつは現代の官僚のこと。実質的に武家社会は終わっていたので、お役人が最も権力を持っていたわけです。
そして、人民が生きるために必要なものを作る農業・工業従事者が続き、何も生産しない商人の身分が最下位に置かれたのです。
ところがこの制度の奥にある思想が江戸幕府のすぐれたところです。
身分が低く権力をもたない商人にはお金を持つことを許し、強い権力を持つ官僚や役人にはお金を持たさない、という思想があったのです。名奉行といわれた「遠山の金さん」こと、遠山金四郎でさえも経済的には困窮を極めたそうです。
これは、権力者が金を持つと幕府転覆を企てる者が現われる、このことを怖れた制度ではないか、とも考えられるようです。しかし「平和なる国家建設」という大局観に立ってみれば優れたやり方と言えるのではないでしょうか。
「権力者はお金を持ってはならない、お金を持つ者は権力を握ってはならない」
江戸幕府が260年余りも続いた背景にはこんな思想があったのです。
私はこれまで、事業が順調ならばトップはより多くの年収をもらって、苦しくなったら一番に下げる方法を申し上げてきました。今もその考えは変わっていません。
ところがもう一段高いところの考えがあることに気づきました。
事業が順調な時には、トップが必要とする年収は確保するが、残る可能分配資金については強い権限はもたなくても現場で活躍する貢献度の高い社員に振り分けるのです。
プロスポーツの世界では、監督やオーナーよりも実戦で活躍する選手のほうがはるかに高い年俸を取っています。
「芸能屋」から「総合エンターテインメント事業」にまで進化した吉本興業では1億以上の年俸者がゴロゴロ、10億円近いタレントもいます。実業界では昨年ノーベル賞で話題をさらった田中耕一さんもそうでしょう。
組織内で権力がなくても、高い年俸を受けることは組織への愛着心、感謝心が増し、より高い貢献を生むでしょう。
吉本興業のタレントはケチな会社であることをマスコミで堂々とぶちまけて、笑いのネタに使っています。しかし、そこには会社への愛情と感謝心があるのです。
ワンマン体制の限界
身勝手なアメリカの態度は、国連決議を無視して開戦に踏み切った今回の戦争だけではありません。先進国全体で温室効果ガス削減目標を定めた、京都議定書の内容を「米国の国益に合わない」と、いとも簡単に反故にしました。
こんなアメリカの姿を見ていると、論語の教えが頭の中をよぎります。
「過ぎたるは 猶 及ばざるが如し」
物事には程度というものがあり、度を過ぎたことは、少し足りないことと同じようによくないこと。ものごとは中庸が大事であるという孔子の教えです。
政治・経済・軍事において国際的影響力を持ちすぎたアメリカ。傲慢さに満ち溢れています。
今の姿勢が続くならばかえってリーダーシップをなくし、世界的な紛争の元になるでしょう。
私たちは現在のアメリカの姿から生きる教訓を学び取ることです。それは一人が勝つことよりも、どう生きるかが、はるかに価値があるということです。
すなわち、権力・金力・能力を一人の指導者が持ち過ぎると、結局のところ、その力はたいして及ばない。企業を存続・発展させるためには、やはりワンマン体制では限界があるのです。
会社が危機的な状況にあるときにはワンマン体制を敷いて守りに徹することが重要です。また、創業の時期など、人が育っていない時期もやむを得ずワンマンになるでしょう。
ところがそのような体制が続き過ぎると、部下が世間で通用する人物に育ってきても自分との比較をするのでいつまでたっても頼りなく映ります。こんなトップの心理状態が社員に投影され、社内から不満分子や反対勢力が湧き起こるようになるのです。
人間の身体が元気なときはあらゆる面でバランスが取れているときです。ところが何かをやりすぎると、たとえば仕事、勉強、スポーツ、遊びなどが過ぎるとバランスを崩して体調不良に陥るわけです。
「権力」も「金力」も、その人が生まれ持った境涯にかなったものであればいいでしょう。
しかし、その程度を越えるとどこからかボロボロと崩れ始めていきます。
権力も、金力も、そして能力も、偏らず… 偏らず…。
