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主宰講師ブログ

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リーダーとしての“器”を磨く③~視座を高めるために、根を深くする~

公開日:2026年11月04日

これまで、リーダーとしての“器”を磨くための三つの「視」について考えてきた。

一つ目は、「視点」。
同じ出来事であっても、自分、お客様、現場、他部門、取引先など、立場が変われば見え方は変わる。
自分の見え方を絶対化せず、意識的にさまざまな立場へ視点を移してみる。
そうすることで、それまで見えていなかったものが見えてくることがある。

二つ目は、「視野」。
自分がこれまで経験してきた領域や、得意としてきた領域だけに閉じこもらず、見る範囲を広げていく。
その一方で、何でも広く知ろうとするのではなく、自分なりのテーマや強みという「軸足」を持ち、縦にも深めていく。
軸足を持ちながら視野を広げていくことで、それまで別々に見えていたものの間にも、つながりが見えてくる。

そして今回は、三つ目の「視」である、
「視座=どれだけの高さから見るか」
について考えてみたい。 

役職が上がれば、視座は高くなるのか?

例えば、営業部長から役員になった人が、経営会議に出席している場面を考えてみたい。

「売上を伸ばすために、営業の人員を増やしてほしい」
「お客様の要望に応えるために、製造部門にはもっと柔軟に対応してほしい」

営業部門の責任者として考えれば、もっともな意見である。
しかし、会社全体の経営を担う役員になったとき、それだけで十分だろうか。
限られた人員を、会社全体でどう配置するのか。
顧客への対応と、品質や採算をどう両立させるのか。
営業部門にとっての最適ではなく、会社全体にとって何を優先すべきなのか。

そして、その実現に向けて、役員である自分自身は何を担うのか。

営業部長から役員へ。
役職が変われば、求められる役割と責任も変わる。
しかし、肩書が変わったからといって、物事を見る位置まで自然に変わるとは限らない。

役員になっても、
「営業としてはこうしてほしい」
「現場がこう言っている」
と、自部門の立場を代弁することに終始することもある。
(参考「経営者視点になったつもりの擬態に立ち向かう」)

経営会議に出席するようになったからといって、経営者の視座に立てるようになるわけではない。
ごく当たり前のことだが、役職が上がることと、視座が高くなることは、同じではない。 

視座が高くなるとは?

では、そもそも「視座が高くなる」とは、どういうことなのだろうか。
視座とは、「自分がどの位置に立って物事を見るのか」ということである。
天守閣に喩えるなら、1階から外を見るのか、最上階から外を見るのか、どの階から見るかと言い換えてもよいかもしれない。

具体的には、例えば、
営業担当者なら、自分が担当するお客様のことを考える。
営業部長なら、営業部門全体のことを考える。
役員なら、自部門を越えて会社全体のことを考える。
あるいは、会社全体だけでなく、その先にいる社員や顧客、取引先、次の世代、社会との関係まで考えなければならないこともある。
同じ出来事を、どの役割と責任を引き受ける位置から見るか、ということである。

もちろん、ここでいう「高さ」は、人としての上下や優劣を意味するものではない。
社長だから人として上で、一般社員だから下ということではない。
人としては対等である。
違うのは、担っている役割と責任の範囲である。

より高い目的と、より大きな責任を担う位置に立って物事を見る。

それこそが、視座が高いということではないかと私は思う。 

視座を高めるには、「何のために」が問われる

では、どうすれば視座を高めることができるのだろうか。
ここで大切なことの一つが、
「何のために」
という問いである。

例えば、「売上を増やしたい」と考えたとする。
では、何のために売上を増やすのか。
社員が安心して働ける会社にしたいのか。
お客様に、より大きな価値を届けたいのか。
次の世代へ、この会社をつないでいきたいのか。
地域や社会に、果たしたい役割があるのか。
「どうすれば売上が上がるか」
という問いも、もちろん大切である。

しかし、それだけを考えていると、売上を上げること自体が目的になってしまうことがある。

一段高い位置から考えると、
「そもそも、何のために売上を上げるのか」
という問いが出てくる。

さらに、
「何のために会社を経営するのか」
「何のために、自分はこの役割を担っているのか」
と、問いは深まっていく。

視座が高くなるほど、
「どうするか」だけではなく、「何のために」が問われる。

そして、「何のために」を深く問い続けていくと、最後は自分自身に返ってくる。 

視座を高めるには、根が問われる

何のために、自分はこの仕事をしているのか。
自分は何を実現したいのか。
誰のために、何に力を尽くしたいのか。
何を大切にして、判断したいのか。
こうした問いに向き合っていくと、その人の奥にある判断の軸や価値基準が見えてくる。

私は、それを木の「根」にたとえて考えている。
何が人として正しいのかという、道理や良心。
自分は何を大切にしたいのかという、価値観。
何を実現したいのかという、志や使命。
そして、そのために何を引き受けるのかという、覚悟。

外からは見えにくい。
しかし、迷ったとき、難しい判断を迫られたとき、最後にその人を支えるのは、こうした根ではないだろうか。
経営とは、正解のない中で判断を重ねていく営みである。
どちらを選んでも、何かを失うことがある。
すべての人が納得する答えが見つからないこともある。
そのようなとき、「一般的にはどうすべきか」だけでは決められない。

最後は、
「自分は何を大切にするのか」
「自分は、何を実現したいのか」
「自分は、どこまで責任を引き受けるのか」
が問われる。

弊社が主催している「経営者大学」では、学びの全体像を一本の「木」にたとえ、その木を見えないところから支える「根」を大切にしている。
根は、道理や価値観、あるいは志・使命・覚悟といった、自分は何を拠り所に生き、判断するのかに関わる。

ここで、クロマツの研究が興味深い。
クロマツは、日本の海岸林に多く植えられてきた樹木である。
クロマツを対象とした研究では、木の高さと根の深さには関係があり、根の張り方は倒れにくさにも関係することが報告されている。
もちろん、木の成長や倒れにくさは、根だけで決まるものではない。
それでも、地上へ大きく伸びる木を、目には見えない地下の根が支えているということは、示唆的である。

私は、リーダーも同じではないかと思う。
役職が高くなっただけでは、視座は高くならない。
視座の高さは、根の深さに支えられている。
自分は何のために、この役割を担うのか。
何を大切にして判断するのか。
より大きな責任を担おうとすればするほど、自分自身の足元を掘り下げ、根を深くしていく必要がある。 

根を深くするには、厳しい環境が必要

では、その根は、どうすれば深くなるのだろうか。
木の根について考えてみると、その伸び方は、周囲の環境と無関係ではない。
クロマツの研究でも、水分や土壌などの環境条件によって、根の張り方が変わることが確認されている。
人もまた、自分が置かれた環境と無関係に成長するわけではない。

私は、とりわけリーダーとしての「根」が深まるうえでは、
自分の思い通りにはならない現実に向き合わざるを得ない経験を重ねること
が、大きな意味を持つと考えている。

成果が思うように出ない。
人がなかなか育たない。
自分の考えが周囲に理解されない。
これまでのやり方が通用しなくなる。
あるいは、どちらを選んでも、誰かに負担をかける難しい判断を迫られる。
自分の力不足を、思い知らされる。

そうした厳しい状況に置かれたとき、
「自分は、本当は何を大切にしたいのか」
「なぜ、自分はこの仕事をしているのか」
「なぜ、この役割を担うのか」
「それでも、自分は何を実現したいのか」
という問いが突きつけられる。

しかし、厳しさそのものが、人を育てるわけでもない。
同じ経験をしても、そこから何を感じ、何を問い、どう向き合うかによって変わる。
環境のせいにすることもできる。
誰かのせいにすることもできる。
自分にはどうしようもなかった、と終わらせることもできる。

一方で、
自分は何から目を背けているのか。
この経験から、何を学ぶ必要があるのか。
この状況で、自分にできることは何か。
そして、自分は何を引き受けるのか。
と、自分自身に問い返すこともできる。

厳しい現実と向き合い、自分自身にも問いを向ける。
誰かや環境のせいだけにするのではなく、
「自分にできることは何か」
を考える。

その経験に、自分なりの意味を見出していく。
そして、最後は自分自身で考え、自分自身で決め、その結果を自分自身で引き受けていく。
そうした経験の積み重ねによって、価値観が磨かれ、志や使命が少しずつ明確になり、覚悟が育っていくのではないだろうか。

根があるから、厳しい環境に向き合うことができる。
同時に、厳しい環境と向き合うことで、根がさらに深くなる。

その両方があるように思う。

 

これまで三回にわたり、リーダーとしての“器”を磨くための三つの「視」について考えてきた。

視点を変える。
自分の見え方を絶対化せず、さまざまな立場から物事を見る。

視野を広げる。
自分なりの軸足を持ちながら、異なる領域へと見る範囲を広げ、つながりを捉える。

そして、
視座を高める。
より高い目的と、より大きな責任を担う位置に立ち、「何のために」を問い続け、自分自身の根を深くしていく。

これら三つの「視」を磨き続けること。
その終わりのない積み重ねこそが、リーダーとしての“器”を磨いていく道のりなのではないだろうか。